***maki loves you***

愚痴やノロケやセルフ画像のフキダマリ。

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散文、その13
2005年07月05日 (火) 00:43 * 編集
はじめましての方へ。
これまでのことはコチラからご覧ください。

父は幸いなことに、命に関わるような病気ではありませんでした。
一時は入院による治療を要する可能性を示唆されましたが
一転、自然に快方に向かいました。

父の回復と時期をほぼ同じくして、
母親の体調もなんとかほぼ元に戻っていきました。

あー、このへんはしょりすぎだー。
でも今はなんか詳述する気力が無いので
かかないでおきますが。。


荒れ果てそうになった家の中も
少しずつ少しずつ、平穏を取り戻していったのです。

あのとき様々起こった出来事を通じて
苦しい思いもしたしたくさん涙も流したけれど、
その結果として自分の思考の枠組みが大きく変わりました。
自分を苦しめていたものがなんだったのかに気付き、
これからもっと楽に生きていくヒントを見出すことが出来たような気がします。

両親の身に降りかかった病。
そして友人の大きな変化。
どうしてこんなことばかり続くのだろうと嘆いたり、
不運を呪いたくなる気持ちも少々あったのは事実。

でも、父がいってくれたように。
うらむ気持ちからはきたないものしかうまれないのです。

起きてしまった事実を変えることはできないのだから
せめて自分や周囲の人が少しでも笑っていられるように
気持ちを柔軟にもってどっしり構えなくては。

そんな心境だったと思います。

計画していた海外ひとり旅もあやうく頓挫するところでしたが、
それも自分の運命なのだな、と静かに受け入れました。

(結果としてはギリギリのところですべてが好転して、
なんとか旅立つことができたんですけどね。)

旅先で様々な文化に触れながら
自分がいかに狭い世界の小さな価値観に縛られていたかを
改めて振り返ることができました。
このへんについては、追い追いもっと詳しくかいていこうと思っていますが。

家族との関わり方。
友人関係の築きかた、仕事の進めかた。
(今はいないけれど)恋人とのつきあい。
どんな場面においても、広い視野を持って独りよがりにならずに
その時できることを悔いの残らぬように全力で取り組もう。

いつどんな形で終わりを迎えるかわからない人生。
極端な話、数秒後に心臓が止まってしまうかもしれない。
明日には大災害で命をおとしているかもしれない。
それでも、今の自分ならにっこり笑って「いい人生だった」といいながら旅立てる気がする。
…なーんて、ちょっと話が飛躍しすぎかな!?
散文、その12
2005年06月28日 (火) 22:48 * 編集
ひさしぶりに続きをかきます。
これまでのことはコチラからどうぞ。

泣きじゃくるわたしのそばに
ただ黙ってついていてくれた父。

少したって落ち着きを取り戻してから、
色々な話をふたりでしました。

あの日の父は親としてというより、人生の先輩として
私に接してくれていたように思います。
世の中の矛盾、人の気持ちの難しさ、生きていくことの意味、
そんなことについて話し合いました。

予想外の出来事が続いて疲弊しきっていたときだからこそ、
素直に父と向き合えたような気がします。

うまくいかないことばかりあるのが当たり前なのが世の中。
どんなに誠意をつくしたつもりでも伝わりにくいのが人の心。
恨む気持ちからはきたないものしか生まれない。
いつどんな形で終わりを迎えるかわからない人生なのだから、
一日一日自分ができることに精一杯取り組んで、
自分に関わり成長させてくれた人に感謝の気持ちをもちなさい。


要約するとこんな話でした。

そしてそのとき最大の頭痛の種だった、
宗教にはまってしまった友人のことについてはこんな風に言ってくれたのです。

彼女なりにマキちゃんを助けようと精一杯頑張ってくれたのだから
その気持ちはありがたく受け取めてあげなきゃいけないよ。
そんなに心配してくれる友達がいるってことを誇りに思えばいい。


この言葉で、どれだけ救われたかわかりません。
表面に現れる行動だけをとりあげるととてもおそろしかった彼女。
でも、その裏側に隠れた「思いやり」のようなものに思いを馳せると
不思議と、不愉快な感情は湧いてこなくなりました。

その数日後。
今度は父が突然の腹痛で救急車で運ばれるという
更なるハプニングが我が家に襲い掛かってきました。

だけど私は驚くほど冷静でした。
父がくれた言葉が、私を支えてくれていたからだと思います。
散文、その11
2005年05月11日 (水) 21:09 * 編集
その涙を契機として、堰をきったようにさまざまな感情が押し寄せてきました。

母の病気のこと。
灯が消えたような我が家の空気。
そして、どこか歯車が狂ってしまった親友との関係。

健康や友情といった
揺るぎない存在に思えていたものが、
実は脆くはかないものであるということ。

それに今更気付いてしまった自分の愚かさ。

深い深い闇の中に放り込まれたような気分でした。
もう、人前で無理に笑顔をつくる気力すらありません。

家族の帰宅前に食事の支度だけは済ませ、
「風邪気味なので早めにやすみまーす」と書き置きだけして、
自室で蒲団を頭からかぶって悶々としてました。

…そうしているうちに、いつの間にか眠っていたようです。
部屋のドアをノックする音で目覚めました。
心配して訪れてくれたのは父でした。

   マキちゃんが色々してくれてとても助かっているけれど
   あまり一人で頑張り過ぎないように、
   お父さんで力になれることがあったらちゃんと言うように。

父はそんな言葉を私にくれました。

…そう。そうだ。
わたしはいつも一人で頑張りすぎていたのではないか。
周囲からさしのべられている温かい手を払いのけて。
いつも完璧を目指して奔走する余りに余裕をなくして、
自分の目の前にある、ほんのわずかなものしか見えなくなっていたんだ。
だから彼女の苦しみに気付くことも出来なかったんじゃないか。

父はそんな意図で言ったのではないのに。
なんだか悲しい惨めな気持ちになって、
あれほど見せまいと思っていた涙が、隠し切れないほど
次から次へと溢れてきました。
散文、その10
2005年05月11日 (水) 19:05 * 編集
私と彼女は同じ空間に存在し、同じ気持ちを共有していた。
そういう時期が確かにあったのだ。
そのことを改めて感じて、余計に悲しくなってきました。

彼女が宗教に尋常でない傾倒の仕方をしていること。
それもそれで、勿論ショックだったのですが。

そのことにこれまで全く気づかないでいた自分。
そして、信仰に救いを見出すまでに色々な苦しみを経験したであろう彼女に
何もしてあげられなかった自分。

そんな自分に、彼女の「親友」を名乗る資格など
とっくの昔になくなっていたのでしょう。

いつから彼女は、わたしの知らない一面を併せ持つようになったんだろう。

少なくとも高校を卒業するまでは、
友達や友達の家族が病気になったからといって
相手の迷惑も考えないで突っ走ったり
謎のお札をその人の家にはりつけたり、
そんな行動はしなかったはずです。

社会規範とか、相手に与える迷惑とか、
そういう当たり前のことも頭からすっとんでしまうほどに
その教えに心酔している彼女。

無邪気に笑いあった、彼女との優しい時間は
もう戻ってこないのだろうか。

…アルバムの上に、涙が落ちていきました。



《補足》
くどいようですが、「宗教」や「信仰」そのものを否定する気持ちはありません。
それを自分たちの生活に上手にとりいれて、
周りの人間をまきこむでもなく静かに生活している方々はたくさんいるということも
少しは、理解しているつもりです。

このエントリは特定の個人・団体を非難する目的でかかれたものではありません。
ご理解のうえ、お読みくだされば幸いです。
散文、その9
2005年05月11日 (水) 18:36 * 編集
怒りと不安と恐怖とが混ざりあった
なんともいえない心境のまま、
彼女が施したであろう祈祷の痕跡をすべて綺麗に取り去りました。

…このことは、わたしの胸にしまっておこう。
ただでさえ不安定になっている家族に、
よけいな動揺をあたえてはいけない。

わたしは何食わぬ顔で朝食の準備をして、
仕事に出かける父親やきょうだいを笑顔で送りました。

そのあと、自分の部屋に篭ってアルバムをめくりながら
彼女と過ごしてきた、10年近い日々を反芻していました。
自分の混乱する気持ちに、整理をつけるために。

であった頃、まだあどけない子供だった私たち。
一緒の部活で汗を流して、
同じ高校めざして遅くまで図書館で勉強して。
合格発表も一緒にみにいって、抱き合って喜んだよね。

高校生になってからは、ときどき電車に乗って遠出した。
一緒に温泉にいったりスキーにいったり。
彼氏ができた、喧嘩した、浮気した、別れた、
そんなことを逐一報告しあってたよね。

女きょうだいがいなかった私。
だから余計に、悩みを分かち合い同じ喜びを共有できる親友は、
かけがえのない大切な存在だった。
彼女も同じように感じてくれていると、信じて疑わなかった。

大学生になってからは、わたしが地元を離れてしまって
一緒に過ごす時間は激減してしまった。

会う回数が減ったことで自然消滅してしまった友情もいくつかあったけど、
彼女とはマメに連絡はとっていた。
お互いを必要としているんだと、
なんでも話せる仲なんだと思い込んでた。
散文、その8
2005年05月11日 (水) 13:09 * 編集
翌日。
朝の散歩に出かけた私の目に、とんでもない物がとびこんできました。

家の玄関に、
何やら見覚えのないお札とシールが大量に貼られていたのです。

…誰の仕業なのか、そんなことあまり考えたくはないけれど。
彼女以外には思い当たりません。

慌てて携帯をチェックすると、
案の定彼女からのメールが届いていました。

そこには、
彼女の信仰の厚さを一方的にアピールする文章がしたためられていました。

「私の喘息もこれで治ったんだー。
●●のパワーってすごいんだよ。
マキちゃんのお母さんも絶対よくなるから!」
って…

そう、彼女は旅行にいけなかったことに怒っている訳でも、
本気でわたしや母親を心配していた訳でもなく。

自分の信仰を拡大するチャンスをみつけて、
逃すまいと喰らいついていただけだったのです。

…誤解のないように、一応弁明しておくと。

わたし自身は特定の宗教を信じては居ませんが、
「信仰」というものを否定・非難するつもりは全くありません。
長い長い人間の歴史の中で必然的にうまれてきたものであるし、
人生の荒波を乗り越えていくときの心の支えとして
なくてはならないものなのだと思います。

ただ、何を信じどう行動するかは、
個人個人が自分の意思で決定するべきものだと思っています。

だから、彼女のとった行動がどうしても許せませんでした。

ひとの不幸につけこむような真似をして。
こちらの迷惑をかえりみないことを平気でするなんて。
散文、その7
2005年05月10日 (火) 07:18 * 編集
やっとのことで電話を終え、一息つこうとお茶を飲むこと30分。
またしても彼女から着信が。
…うぅ、何だろう今度は。

「実はさー、今近くまで来てるんだけど、寄らせて貰えないかな〜」

………!!日本語通じてない!!!
あれほど言葉を尽くして説明したのに。

さっきまで感じていた怒りは、恐怖に変わっていました。
彼女の暴走ぶり、尋常じゃありません。

何が彼女をそんな行動に駆り立てているんだろう。
もう、わたしの理解の範疇を超えています。

「心配してくれる気持ちはすごく嬉しい。
でも、母が誰にも会いたくないって言ってるから、ごめんね」
そういって彼女の訪問をまた断りました。

母が人と会う気力をなくしているっていうのは、ウソではありません。
でもそれ以上に、本当は私が彼女に会うのが怖かったのです。

散文、その6
2005年05月10日 (火) 00:06 * 編集
その日、母の具合は最高潮に悪化。
家の中から笑いや明るい空気が完全に消えていました。

母の存在の大きさを改めて思い知らされ、
こんな状態が長く続いたら一家崩壊だろうなぁ…
そんな予感すら胸をよぎりました。

共倒れは避けなければ。
家族の中で今、心身に最も余裕があるのは、間違いなく自分。
だから、母に代わって家を守るのはきっと私の役割。
そう考えて予定を全てキャンセルの上、実家に長期間とどまることを決意したのです。

そんな思いが少しでも彼女に伝わることを祈りながら、
淡々と事実を伝えました。

本来は、そこまで詳細を語るべきではなかったのかもしれません。

でも、気心の知れた間柄だという思いがあった上
私自身が不安に押し潰されそうになっていた事もあり、話しはじめると止まりませんでした。
20分近く、状態説明を続けたかと思います。

静かに私の話に耳を傾けてくれていた彼女の口から出た言葉に
私は仰天しました。

「お見舞にいかせてほしいんだけど。今から。」

…えっ?
もう、夜の9時すぎてるんだけど。

よっぽど近しい間柄ならともかく、母と彼女とは一面識もありません。

夜も遅いし、何より母本人が極度の不安から聴覚過敏になっていて、
家の中でなるべく音をたてないように生活している状態。
こんな時の「お見舞い」の申し出、迷惑以外の何物でもありません。

彼女を傷付けないよう慎重に言葉を選んで、お断り申し上げました。

ただでさえ「断る」というのは、非常にエネルギーを消耗する作業。
そこにこちらの真意を盛りこもうとか、
相手へ与えるダメージも最小限にしなくてはとか、色んな要素が絡むのですから。
この時点で私は、看病疲れもあいまって、疲れきってしまっていました。

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